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2026-04-10
ロータリークラブには高校生の交換留学制度があり
他国の学生を受け入れ、かつ同人数を派遣します。
2011年、東北大震災の年には8月アメリカ、エクアドル
ブラジル、フランス、フィンランド、タイ、台湾から
高校生が来日して、1年間を日本で過ごしました。
ブラジルのガブリエル君は、最初の3か月は我が家に滞在。
彼は語学がやや不得意、でも性格はとても明るい子でした。
帰国してからのやり取りはFacebook、といっても相手は
どういう訳か彼のお母さん!私の投稿によくコメントを
くれるのです。それで私は彼の結婚式には招かれるのではと
期待していたところ、昨年のやり取りで「息子は結婚しない
と思う」と書いてきたのにはガッカリ!
そのガブリエル君が、先月15年ぶりに母親を連れて
日本に来たのです!とりあえずは我が家に4連泊。
翌日は東京駅から「はとバスツアー」、まず皇居から浅草へ。
天ぷらのお昼を取り、東京タワーへ上って最後は暗くなりかけた
明治神宮を散策。次の日は横浜で来日している交換留学生と
派遣予定学生のミーティングに参加し、日本語でスピーチ。
4日目は日本民家園を案内したあと、2014年に日本から
交換でブラジルに1年派遣された女性を交えて夕食を取り
ながら懇談。彼女と同期のデンマークの女の子がガブリエル
の家にホームステイをしていたことが分かり、一同ビックリ!
その後親子は京都、奈良、広島、そしてディズニーランドも
楽しんで、帰国前日にロータリーの例会に参加してバナー
(クラブ旗)を交換。母親は地元のロータリアンだったのです!
お別れにブラジル・サンパウロでの再会を約束?しました。
実現できたらとても歓待されると思うのですが、果たして…。
テーマ名
ページ作成日 2026-04-10
2026-03-14
上野公園名建築視察会に参加しました。ここは明治6年
日本で初めて指定された公園で、私はここでは何といっても
前川國男設計の東京文化会館が一番の推し。昭和36年に
できた建物とは思えません。コンサートホールとしても
超一流で、若い時にはずいぶん演奏会に通いました。
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向いの国立西洋美術館はル・コルビュジエの設計で実施
設計は前川國男、坂倉準三、吉阪隆正のコルビュジエの
3人の弟子。ピロティ、自由なファサードなど近代建築の
代表的な特徴を見ると、ここも竣工が昭和34年とはとても…。


やはり前川國男設計の東京都美術館はアート展によく来ます。
完成は昭和50年。レンガ色の外観が特徴でタイルを躯体の
コンクリートと一緒に打ち込む工法を取っています。
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旧東京音楽学校の奏楽堂は明治23年の竣工。東京芸大の前身の
東京音楽学校の演奏会場として建てられた日本で最初の西洋式
音楽ホールで、昭和59年に解体・修理され今のところに復元。
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公園のはずれにある京成線の旧博物館動物園駅の向かい側の
黒田記念館は昭和3年の竣工で、洋画家の黒田清輝の作品
を所蔵、アールヌーボー式の建物とスクラッチタイルが特徴。
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旧博物館動物園駅
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黒田記念館
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スクラッチタイル
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並びの国立国会図書館は明治39年竣工のルネサンス様式の
帝国図書館で、2000年に国際子ども図書館が開館。2015年に
安藤忠雄が設計したアーチ棟を増築。新旧の君合せが斬新。
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最後は東京国立博物館へ。本館は渡辺仁設計で昭和13年開館、
コンクリート建築に瓦屋根を乗せた和洋の帝冠様式。
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一番古い表慶館は明治42年築、設計は迎賓館を設計した片山東熊。
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東洋館は昭和43年、谷口吉郎の設計。その子息の谷口吉生は
法隆寺宝物館を設計、この公園で唯一のモダニズム建築。
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東 洋 館
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法隆寺宝物館
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今回は約2時間でこれだけの建物を見て回る強行軍?で
おかげで上野公園全体の建物群を初めて把握できました。
次は一棟ごと、内部をじっくり見る機会を作ります。
テーマ名
ページ作成日 2026-03-14
2026-02-21
3年前に県の法人会の委員会で、多摩区にあるボクシング
ジムの会長の新田渉世という方と知り合いになりました。
その後テレビで袴田事件の報道を見たとき、裁判所前に
集まる支援者の中に新田さんの顔が映っているのを発見!
彼は袴田巌さんの支援委員会の委員長だったのです!
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一昨年、再審で無罪が決定し昨年のNHKでこの冤罪
事件を追う番組が放送されたとき、新田さんも出演し
この事件に長期に渡り支援していたことが分かりました。
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そんな縁で先日ロータリークラブでお話を伺うことに。
演題は「“負け”に負けるな!」彼自身、ボクサー時代何度も
負け、経済的にも負け組だった彼は、「負けることは
誰にでもある。それに負けてはいけない」と。
新田さんは秦野市の出身、横浜国立大学に入学して
在学中にプロのボクサーとしてデビュー。ボクシング
との出会いは小学6年の時に読んだ「あしたのジョー」。
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そして1996年、東洋太平洋バンタム級タイトル戦で
勝利し、初の「国立大卒のチャンピオン」に。その後
サラリーマンを経て2003年にジムをオープンしました。
元ボクサーの袴田さんのことを知った新田さんは、何度も
拘置所に通うが面会は果せず、その後法律が変わり新田さん
だけが許され、数年に渡り毎月死刑囚の袴田さんと面会。
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2008年最高裁で再審請求が棄却され支援活動はピンチに。
しかし幾多の裁判を重ねた結果、2014年静岡地裁が初の
再審開始を決定、袴田さんは47年ぶりに釈放され、その後
2024年検察が控訴を断念して無罪が確定。長期に渡る
「“負け”に負けない」支援活動が見事結実、新田さんの
この執念なしで無罪判決は?とまで思い至りました。
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ページ作成日 2026-02-21
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