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2021-02-25
年が明けて新聞の「銀座に88歳のたたずまい」
という見出しが目にとまりました。昭和7年に
完成した「奥野ビル」が現存しているという記事です。
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当時としては珍しい7階建ての高級アパートで
映画俳優や芸術家も住んでいたとのこと。ほどなく
書店で手に取った「復興建築」にも載っていた
こともあり、興味が湧いて見に行くことに。
(復興建築とは関東大震災後に生まれた建物のこと)
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中央通りの銀座一丁目の交差点を右に入ると古いビルが
視界に入り、家内が「昔ここで面接を受けたことがある!」
言ったのが「ヨネイビル」でした。「復興建築」を見ると
昭和5年築で、現在も自社ビルとして使用中。
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その先を左に折れて行った3軒目が「奥野ビル」。
外壁タイルのくすみ具合は相当なもので、中に入ると
かつてのアパートは、ギャラリーや小さなショップに
変わり、雰囲気は昭和20年代の“黒沢映画”そのもの。
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私は表参道にあった同潤会アパートを思い出しました。
昭和初期に建てられたこの建物は十数年前に解体されて
ガラス張りの普通?の商業ビルになってしまいました。
旧同潤会アパート
さて本に出ていたもう1棟の銀座7丁目の建物へ。
「旧菅原電気商会ビル」で、今は3階までが椿屋珈琲店。
1杯1000円のコーヒーを楽しむお客さんが溢れていました。
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帰りは銀座4丁目まで戻ると交差点には本の表紙にも
なっている有名な昭和7年築の「旧服部時計店ビル」。
銀座には現代建築の合間に歴史的な「復興建築」が
健在していることを再認識し、いつまでも「現役」
として活躍してくれることを願うものです。
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テーマ名
ページ作成日 2021-02-25
2021-01-27
一昨年、渋谷・神宮前にある設計事務所に行く途中
渋谷駅から明治通りを原宿方向に歩くと、道路沿いの
宮下公園が再開発されている風景を目にしました。
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渋谷から新宿方向に向って山手線に乗ると
右側の窓からいつも眼下に見える細長い公園が
3階建てに半円のアーチが乗った形になっていました。
それが昨年の夏完成してオープン、年が明けて初めて
訪れました。公園は「MIYASHITA PARK」と横文字になり
商業施設とホテルも一体となった複合施設です。
宮下公園の開設はちょうど私が生まれた1953年。
この地域は旧皇族の梨本宮家があって、当時宮下町と
呼ばれていたことからその名前が付いたとのこと。
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1966年には鉄道敷と同じ高さの人工地盤を作って
下を駐車場とした「東京初の空中公園」となりました。
ただ1990年頃から多数のホームレスが住むようになり
老朽化もあり、思い切った再整備が計画されたようです。
さて先入観なく現地に行ってまずビックリしたのは
1階の店舗にルイ・ヴィトン、グッチの高級ブランドが
入っていたことで、3階までのフロアに約90店舗が出店。
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屋上に上がると広々とした芝生の広場やグランドを始め
ボルダリングウォール、スケボー場とスタバまであります!
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一番原宿寄りはホテル棟。カフェ・ラウンジから入って
奥にチェックインカウンターなのですが、セルフで無人!
これは三井不動産グループの新しいタイプのホテルです。
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変容する渋谷…。駅から歩いて数分のところにまた
画期的な複合施設ができました。
テーマ名
ページ作成日 2021-01-27
2020-12-25
皇居・半蔵門の向かいの国立劇場で、先週家内が
日本舞踊の会に出演しました。この界隈にはある意味で
日本を代表すると言える建物2棟が存在しています。
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地下鉄の名にもある半蔵門は、広大な皇居の西端にあたり
東の大手門と正反対に位置していて、天皇や各皇族が日常
皇居への出入りするときは主にこの門が用いられるそうです。
名前の由来は、警備担当だった徳川家の家来・服部正成
正就父子の通称「服部半蔵」から来ているとのこと。
伊賀忍者で有名なのはこの家系の初代でした。
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半蔵門駅で降りてお濠端へ出てから内堀通りを右に折れると
外壁が木材を井桁に組み上げたようないわゆる校倉造り風の
横方向がとても長い建物、国立劇場が出現します。
伝統芸能の上演を目的にした劇場の建設は戦前から何度か
検討されたそうですが実現せず、昭和30年代になってやっと
計画が具体化して設計コンペが行われ、竹中工務店・設計部の
岩本博行案が当選し、昭和41年に竣工しました。
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1746席の大劇場と630席の小劇場ほか、資料室や研修室
などから成り、家内はこの小劇場に出演。このコロナ禍で
楽屋の出入りも検温・消毒など劇場係がピリピリしている中
「鷺娘」を約30分舞って滞りなく終演、私もホッとしました。
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国立劇場に隣接する最高裁判所は、昭和44年に改築のための
設計コンペが行われ、鹿島建設・設計部の岡田新一案が当選し
昭和49年に完成、その頃建築科に在学中の私は見学会に参加しました。
こちらの外壁は白い御影石張りで司法の頂点という重厚感を出し
内部もほぼ御影石張りで少し寒々しく感じたおぼろげな記憶が…。
岡田氏はこれを契機に独立して様々な公的建築を設計しています。
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その時、写真を撮った気がしたので探すと出てきました!そして
権威の象徴としての威圧感は約47年前の記憶の通りでした。
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ページ作成日 2020-12-25
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