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2018-03-24
午前中サファリを終えた後、ビクトリアの滝に向かい
バスでボツワナからジンバブエに移動。この時ランチに寄った
レストランの建物にとても興味を引かれました。スペースは
どこまでもゆったりとして、調度品も目を引くものばかり。
さてこの滝の水量は世界一だそうで、落水の轟音と共に
水しぶきがまるで豪雨のような場所があり、「滝の観光中
濡れることがあるので雨具や滑りにくい履物を」と案内書に
あったので、持ってきたコートを着たが全身ずぶ濡れに!
それはレインコートではなくウインドブレーカーだったのです。
翌日のヘリコプターからの観光は天候が悪く、ダメかと
思ったら時間ギリギリでOKとなり、空からの素晴らしい
スペクタクルを堪能できて、ここでも幸運を感じました。
この日の午後はリビングストンより空路、南アフリカの
ヨハネスブルグへ到着。翌日の観光は「アパルトヘイト」が
テーマの勉強会といってもよいほどの内容でした。
その要因は現地日本人ガイドの、セミナー講師のような
博識と語り口で、見学した場所もマンデラ元大統領が
住んでいた家と、ヘクター・ピーターソン博物館でした。
ネルソン・マンデラはその反アパルトヘイト運動のため
1964年から1990年まで投獄され、1993年にノーベル
平和賞を受けた翌年、大統領に就任しました。
アパルトヘイト撤廃運動のきっかけの一つが、1976年に
起こった中・高校生のデモと言われ、このとき警官に
射殺された13歳の少年がヘクター・ピーターソンなのです。
1910年、イギリスから独立した南アフリカは黒人を国土の
8%のエリアに押し込める法律を作って人種隔離を始めますが
1994年マンデラ大統領が誕生してようやく撤廃されました。
数年前ロータリーのGSEプログラムで来日した5人のうち
3人が有色人種だったのはその成果なのでしょう。
テーマ名
ページ作成日 2018-03-24
2018-03-23
6日からアフリカ10日間の旅に参加しました。
アフリカは二度目で、一度目は南アフリカのみ、
約5年前でこの時も河合さん夫妻と一緒でした。
河合さんは長男が南アフリカに赴任していた時にも
訪れているので、今回が三度目です。その時に
体験したサファリにもう一度行きたいという希望を
このツアーで実現させたのです。
香港、ヨハネスブルグ経由でザンビアのリビングストンへ。
そこからバスでボツワナに入り、川べりのロッジへ。
このテラスからチョベ川に落ちる夕陽を見てやっと
アフリカに来た実感が湧いてきました。
翌早朝6時からサファリカーでチョベ国立公園に入り
動物ウォッチング。川に遊ぶカバ、草原を走るシマウマ、
そして草むらにたたずむライオンを見つけましたが
残念ながらライオンはこの時だけでした。
昼からのドライブではチョベ川に水浴びに向かう
ゾウの群れに遭遇、私たちのジープの前を次々に横切り
中には止まってじっとこちらを睨んでいるゾウも!
これがサファリの神髄!これだけで私はこのツアーに
参加した価値があると感じました。
この日3度目のウォッチングはロッジの船着場から
ボートサファリ。このときは再びゾウの群れとカバ、ワニ
に遭遇。船上での3時間がゆったりと流れて行きました。
サファリとはもともとアラビア語で旅行のこと、
参加者15人は2つの車に分乗して見学したのですが
最後の朝のサファリで私たちに幸運が…。
運転手が指さす道路の先に何かがいるようですが
初めは小さくて分からなかったのが数頭のキリン。
そっと近づくと優雅に道路を横切ったのです!
テーマ名
ページ作成日 2018-03-23
2018-02-09
台湾から来たアレン君のホームステイもあとわずか、
先週末一泊旅行に連れて行きました。
宿泊は、会社が加入しているリゾートトラストが
昨年湯河原に新設した「エクシブ湯河原離宮」。
できれば箱根に寄ってから行こうと思っていたところ
前日からの雪で無理なことが分かり、先に熱海へ行き
昨年リニューアルが終ったMOA美術館を見ることに。
入場口から高台にある美術館エントランスまで
何度も乗り継ぐエスカレーターには驚かされました。
その分、館内から見下ろす相模湾周辺は絶景です!
所蔵品の中の白眉、国宝の尾形光琳の「紅白梅図屏風」は
文化庁の規定もあり梅の時期に60日しか公開されません。
真ん中を独特な模様の水流が占め左右に梅が配置された構図は
大胆で、左の白梅の幹はほとんど隠れていて見えません。
また屋外には約400年前に京都に建てられた光琳の屋敷が
彼自身の手による図面をもとに、復元されていました。
さて熱海でもう一か所見学したのは「起雲閣」。
大正8年に財界人が建築した別邸を同15年、東武鉄道社長の
根津嘉一郎が購入し徐々に敷地を拡大。終戦後に所有者が変わり
旅館「起雲閣」を開業、谷崎・太宰等の作家にも愛されたものが
平成11年に廃業、翌年熱海市が買い取って保存が確定。
3000坪の敷地に築100年近い和風、洋風の建物が点在し
私はこの一つ一つから、かつて第一級の保養地として栄えていた
当時の熱海を実感しました。
ここを跡にして湯河原離宮へ。明治創業の「天野屋旅館」が
経営不振でリゾートトラストに売却、有形文化財にも指定された
建物が取り壊され、都心の最新の外資系ホテルのようなテイストの
施設として生まれ変わりました。
これが東京の奥座敷、湯河原の盛衰の象徴か、と思うと同時に
熱海の例のような保存は難しかったのかなと考えました。
かつての天野屋旅館
テーマ名
ページ作成日 2018-02-09
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