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2020-06-29
東横線で多摩川を渡ると「多摩川駅」。旧名称は
「多摩川園前駅」。駅前に1925年に開園した遊園地が
あったからです。親によく連れられて来た多摩川園の
1979年の閉園の日、私は最後の様子を写真に収めました。
その後できた高級テニスクラブはバブル崩壊後の2000年
に閉園。住宅としては素晴らしい立地なので、その後どんな
開発がされるのか電車でこの駅を通るたびに気になって
いましたが、意外にも最終的に2008年、大田区立の公園に。
名称は「田園調布せせらぎ公園」このことを知ったのは最近の
ことで遅ればせながら初訪問。高台の住宅地側の入口から入ると
運動場があり子供たちがサッカーに興じていました。ここは確か
遊園地からリフトで上がれた広場だったところです。
駅方向に下りる途中に小さな滝が…。「東京名湧水57選」
の表示がありうまく高低差を活かして造園したのでしょう。
テニスのクラブハウスだったところは休憩所となり、
その前面は湧水を利用した和風の庭園になっていました。
せせらぎ公園を後にして駅の反対側の「多摩川台公園」へ。
区立の公園になったのは1975年、春は桜の名所としても知られ
当社でも以前ここでお花見をしたことがありました。
今の季節はアジサイ。特に入口から階段を上がったあたりが
見事で、これだけの数のアジサイを一度に見たのは初めてかも。
その先には水生植物園(浄水場跡)があり、親子連れが
池一面に広がったスイレンを楽しんでいました。
ここは武蔵野台地の最南端に位置し、亀甲山古墳ほか
8基の古墳群も見られます。このように駅の両サイドで史跡と
自然を楽しめるところは、私の知る限りほかにありません。
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ページ作成日 2020-06-29
2020-05-18
週末の休みでもまだ繁華な場所へ行くことはできず、
歩ける範囲というと小杉方面は2度ほど散策したので
今回は、溝ノ口駅方向を目指しました。
まず江川のせせらぎを新城駅方向へ。途中で左折すると
すぐ新作に入り、第3京浜をくぐると末長、そして
溝ノ口に近くなると町名は久本に変わります。
そして右手に現れた洗足学園の斬新な校舎の横を通って
信号を左折すると、坂を上がってすぐのところにあるのが
左右にライオン像が鎮座する「フィオーレの森」のゲート。
時おり利用した中央広場の先にあるイタリアンレストランは
この度閉店。ゲートすぐのフレンチレストランの右奥方向は
普段行かないのですが、石段を上ってみるとミニカー専門店や
セレクトショップ、ブティックが軒を連ねていました。
さらに小高い丘を縫うように急坂を昇り切ると現れたのは
19世紀ヨーロッパ風とでも表現するしかない建物と、その中に
入っているカフェテリアでした!
これは「パレス・ド・レオナール」という賃貸マンションで
カフェはオーナーのお嬢さんが運営している「星のサロン」。
新緑溢れるオープンテラスで味わうサバランと紅茶は格別で
ここが溝ノ口駅から歩いて数分の場所とは到底思えません。
テラスから入ったので帰りはマンションの廊下から出口へ
向かいましたが、エントランスはひと時代前の雰囲気に満ちた
調度品が揃えられ、見事に一つのコンセプトで貫かれています。
このような豊かな自然に囲まれ、一瞬日本にいるのを忘れさせる
テイストの住環境は、東京圏でもなかなか見つからないでしょう。
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ページ作成日 2020-05-18
2020-05-01
ゴールデンウィークに入り、時節柄遠出もできないので
中原街道を小杉まで歩いて沿線を丁寧に見て回りました。
まず小杉十字路の手前にある泉澤寺。葬儀で来たことは
あってもじっくり散策するのは初めて。室町時代に世田谷で
創建されたこの寺は、諸堂が焼失して1550年にこの地に移り、
江戸中期にできた本堂は昭和5年に屋根を大改修しました。
それを施工したのが私の祖父の重太郎で、設計を担当した
当時海軍技師だった吉野福三郎氏に認められ、昭和10年に
着工した西五反田の氷川神社の本殿の施工に繋がりました。
泉澤寺の後向ったのは西明寺。創建年代は不明で弘法大師が
その高弟に建立させた説も。江戸時代、隣地に小杉御殿が出来て
将軍家の崇敬を受け、近隣に末寺20余寺を擁していたとのこと。
中原街道から細い参道を行くと仁王門があり、広い境内には
本堂をはじめ鐘楼、観音堂、客殿など建築的に見るべきものが
多く点在していますが、初めて知るものばかりでした。
仁王門
さらに進み小杉陣屋町の交差点手前に、現JAセレサ川崎の
組合長・原修一さん宅で明治創業の「石橋醤油店」、そして
市の重要歴史記念物に指定された安藤家の長屋門があります。
石橋醤油店
安藤家の長屋門
その並びには昨年国の登録有形文化財に指定された旧原家表門
があり、元あった豪壮な住宅(明治44年上棟)は棟梁が市川登代次郎
(私の本家)、副棟梁が重太郎の父、清次郎でした。この建物は
当社の施工により平成の初め、解体され日本民家園へ移築されました。
この跡に建つデザイン性の高いマンションは近隣にないレベルで
門からの出入り自由のアプローチなど、現オーナーの意識の高さを
感じさせ物件の価値を上げています。当代の原さんは知り合いなので
いつか計画のコンセプトを聞いてみたく思います。
日本民家園の旧原家
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ページ作成日 2020-05-01
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